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製薬業界で高まる顧客体験の重要性

Performance 製薬業界で高まる顧客体験の重要性
これからの市場をリードするのは、顧客体験の改善に絶えず取り組み、顧客と透明性の高い信頼関係を構築できる企業です。
こうした企業は自社製品やサービスを好んで選ぶ顧客だけでなく、自社や自社のブランドを他の顧客に紹介してくれる熱狂的な支持者(アドボケーター)を獲得できるでしょう。
本稿では、製薬業界において顧客体験が意味するものを考察します。

著者:
EYスイス Life Sciences Advisory
エグゼクティブディレクター Frank Kumli
EYドイツ・スイス、オーストリア
Customer Experience Leader エグゼクティブディレクター Matthias Felber
EYスイス Life Sciences Advisory,
シニアコンサルタント Victoria Serra Gittermann
和訳監修:
EYアドバイザリー・アンド・コンサルティング株式会社
ディレクター 海保 理子

この数年間で、「顧客体験」がマーケティングおよびテクノロジー分野のフォーラムの流行語となったことは間違いありません。民俗学的調査や、マーケティングとセールスのオートメーションにおけるユーザー経験まで、実に多様な分脈で顧客体験という言葉が聞かれるようになりました。実際、顧客体験は非常に広い概念です。本稿では、何らかの関係を有している顧客と企業の間で行われるやり取り(インタラクション)を顧客体験と呼んでいます。企業が顧客に提供する経験は、概念上はシンプルなステップによって改善できます。例えば、顧客が企業とのインタラクションを論理的、身体的、感情的にどう認識しているかを分析し、その結果に基づいてより良い体験を設計し、提供することで、企業は顧客体験の差別化を図ることができるでしょう。つまり、どんな状況、チャネル、インタラクションポイントでも、顧客に「ネクスト・ベスト・アクション(以前の最良のアクション以上に満足をもたらす新たな最良のアクション)」または「ネクスト・ベスト・オファー(同様に以前に勝る最良のオファー)」を提供できるようになるのです。

顧客体験: ブームを超えて

より良い顧客体験を提供することは、決して目新しいテーマではありません。小売、消費財、通信、自動車業界の企業、特に動きの速い消費財メーカーでは、数十年前から顧客体験の差別化に取り組み、消費者志向を年々強めてきました。しかし、社会とテクノロジーが進化するにつれて顧客の行動や消費の形も様変わりし、顧客体験を作り上げ、維持していくことは、かつてないほど複雑になっています。現代の顧客は大量の情報と選択肢に囲まれており、絶えず様々な企業、組織とかかわり、その体験を比較したり、仲間やコミュニティと共有したりしています。購買判断を下す前にソーシャルメディア上で共有されている体験を参照することが一般的になり、顧客はかつてないほど大きな力を持つようになりました。

その結果、他社よりも良い製品を持っているという理由で競争優位を維持することは不可能となり、特に小売業界では複数のチャネル間のシームレスな連携(クロスチャネリング)が競争の鍵を握るようになっています。つまり、顧客により良い店頭での体験を提供することは「競争に参加する権利」にすぎず、店頭を訪れる前後に顧客が体験するオンラインでのインタラクションをいかに改善するかがビジネスの成功に欠かせないものとなったのです。

レガシー業界では、新興企業が「不快」な体験の解消にピンポイントで取り組み、業界のビジネスモデルを一変させました。例えば自動車配車サービスを展開する[NA1]Uberは、単にビジネスモデルの供給サイドを革新しただけでなく、タクシーを見つけ、乗車し、代金を支払うというプロセスに共通する問題と顧客が抱きがちな不満を、信頼性の高い快適かつシームレスな体験に変えることで、運送業界で成功をおさめました。

こうした斬新なビジネス手法はフットワークの軽い新興企業のものと考えられがちですが、実際には顧客体験を活用する大きなチャンスは従来型の市場にこそ存在します。従来型の市場では、自社を差別化し、顧客の支持を維持することはきわめて難しくなっているため、より良い顧客体験を提供し続けることが、ビジネスの成功にとってこれまで以上に重要になっています。

顧客体験が次の戦場に

目まぐるしく変化する世界に対応するためには、顧客との関わり方を見直す必要があることを製薬会社は理解しています。製薬会社のマーケティング担当者が集うカンファレンスでは、「製薬業界の次の戦場は"顧客体験"だ」というフレーズを頻繁に耳にするようになりました。

営業やマーケティングの面から見ると、これは[医師、ペイヤー(厚労省、保険組合や保険会社)、そして許される場合には患者に対して]伝統的な「プッシュ型」のセール&マーケティングモデルを、顧客のニーズと期待に焦点を合わせた、顧客が関与できる「プル型」モデルに進化させるレースと言ってもよいでしょう。例えば市場には、デジタル技術を使い慣れた医療従事者が、透明性と信頼感のある、使い勝手のいい魅力的なサポート環境下で、業務時間外であっても、適切な情報にアクセスできる、そうした体験に対するニーズがあるかもしれません。

このように顧客体験を改善するためには、適切なタイミングで、適切なチャネルとフォーマットを用いて、適切なタイミングで、適切なメッセージとコンテンツを適切な相手に提供する必要があります。「エンパワーメントされた顧客」の時代に生まれた若い企業にとって、こうした環境作りは日常業務の一部にすぎません。しかし、製薬会社のような長い歴史と伝統的なセールス&マーケティングモデルを持つ企業にとっては、こうした新しい環境に適応することは挑戦です。

従来型の製薬会社が適応できるスピード以上に、事業環境が進化しています。

図1. 顧客体が次の戦場に

(下の図をクリックすると拡大します)

顧客体験が適切に設計されていれば、組織は顧客の期待とニーズを理解し、その理解に基づいてインタラクションを見直していくことができます。

顧客体験の改善に取り組む製薬会社は、社内でも社外でも難題に直面しています。社外に関しては、喫緊の課題は市場に多様な顧客が存在し、ニーズや期待が相反していることさえあるという事実です。例えば、顧客が保険者か、患者か、医師かによって、遡及すべき付加価値、メッセージの伝え方、エンゲージメント戦略はまったく違ってきます。また、同じ顧客集団の中でも、市場や国が違えば差異が生じる可能性があります。

もう一つの課題は、製薬業界に対する一般市民の信頼が低下しつつあることです。これにより、顧客とのインタラクションはさらに困難になっています。

しかし、最大のハードルは社内の障壁でしょう。組織風土に関して言えば、顧客体験を改善するためには顧客との従来のインタラクションを根底から見直す必要があります。企業は製品自体の特性とは直接関係しないニーズや期待を理解し、対処するよう心掛けなければなりません。

組織構造の面では、優れた顧客体験を提供し、カスタマージャーニーにおけるタッチポイント(オフラインとオンラインの双方)を最適化するために、複数の部署(例: 薬事、セールス、マーケティング、マーケットアクセス)を連携させることが不可欠となります。これらの部署は、これまで単独で活動しているケースがほとんどです。

最終的に、企業が持つ力を網羅的に、且つ効率的に顧客体験に生かすには、マーケティング・オートメーション、クローズド・ループ・マーケティング、アナリティクス等、多くの製薬会社が導入している以上のデジタル化が不可欠となります。

優れた顧客体験を実現するためには、これまで踏み込んだことのない領域も含めた、組織全体の長期的な変革が必要です。成功の鍵は2つあります。一つは、厳密かつ反復的なプロセスに従って変革を進めること、もう一つは機能本位の発想(「インサイド・アウト」)から顧客中心の発想(「アウトサイド・イン」)へ率先して切り替えていくことです。

優れた顧客体験の実現

このプロセスを成功させるために、組織は、この変革によって中長期的に何を達成または実現したいのかについて、明確なビジョンを持たなければなりません。それは、特定のブランドが選ばれた市場で直面している特定の問題を解決しようとするものなのか? それとも会社全体が顧客に関与する方法そのものを改革しようとしているのか? あるいは、顧客中心の文化を組織の隅々にまで浸透させようとしているのか?

しっかりとしたガバナンスが適用されていれば、優先されがちな通常業務と並行して、プロジェクトを遂行するための役割と責任を明確に設定され、実行(そしてモニタリング)していくことができます。プロジェクトを成功させるためには、マネジメントの積極的な支持と合わせて、プロジェクトが本社レベルでの机上の空論で終わらないように、国内グループ会社全社を早期から巻き込むことが重要です。

図2. 顧客体験の設計は継続的かつ反復的なプロセスであり、4つの側面から構成される

(下の図をクリックすると拡大します)

顧客戦略と目標

優先すべきセグメントと体験、および顧客に対する約束とこれまで以上の目標水準(例: 体験価値を再考する、または基本要件を修正する)を定義することで、顧客体験を改善するための前後関係が明確になります。

顧客の知見と体験設計

最善の顧客経験を設計するためには、繰り返し、顧客の声に耳を傾け、顧客を観察し、顧客がしようとしていること、感じている不満や満足、そして重要な真実の瞬間を明確にすることです。

実行能力

顧客体験は、人、プロセス、テクノロジーのすべてを組み合わせることで成立します。

体験価値の実行

変化の規模は、ロードマップに従い、関連するコスト・便益と併せて定量化しなければなりません。

顧客体験構築の規模と時期、重点を置く国やブランドといった点は、想定される影響と投資効果を定量化したビジネスケースをもとに、早い段階で明確化されなければなりません。

プロセスの早い段階から、国内グループ会社全社を導入に巻き込みます。従来型の製薬会社が適応できるスピード以上に、事業環境が進化しています。このスピードのギャップを埋めるためには、変革を迅速に進めるためのアジャイルな導入アプローチが求められます。このプロセスは反復され、各々の会社、組織がプロトタイピングとパイロット導入を通して、継続的に学習しながら、アプローチを洗練させる、「試行し、すばやく失敗する(フェール・ファースト)」という文化に根差したものでなければなりません。

最初のステップは変革の戦略的意図を定義することです。優先セグメントを識別する、つまり、どの顧客(患者、ペイヤー、医師等)により良い経験を提供するかを決定することがその一つです。顧客に対する約束、すなわち顧客とのインタラクションを通じて、顧客にどのようなイメージを持ってほしいかを定義することも欠かせません。

製薬会社は「最も革新的」なプレーヤーと見られたいのかもしれませんし、「最も患者を中心に大切に考えている」、あるいは「科学の最も先端を行く」なプレーヤーと見られたいのかもしれません。顧客に対する約束が明確になったら、この約束を顧客とのすべてのインタラクションに組み込み、自社が顧客のマインドの中で特定の価値と結び付けられるようにします。

変革の戦略的意図を明確化するための最後の重点ポイントは、どれだけ高い目標の水準について合意できるかです。例えば、組織が目指しているのはマルチチャネルマーケティング分野の基本要素を構築することでしょうか? それとも顧客体験を根底から見直し、「薬を超えた」貢献、つまり、これまでの効能のある薬品を提供すれば良いという考え方を超えて、医師、患者、ペイヤーのための付加価値の高い活動を実行しようとしているのでしょうか?

顧客体験が適切に設計されていれば、製薬会社は、顧客の期待とニーズを理解し、その理解に基づいてインタラクションを見直していくことができます。顧客体験を設計するための最初のステップは、顧客の行動を理解するために顧客の知見を集め、そのブランドまたは自社とのインタラクションにおいて、顧客が何に不満を感じ、どんな点を気に入っているのかを把握することです。こうした深い理解は、顧客の基本属性、態度、行動等に関する定性的・定量的データを多面的に捉えることによって得られます。

製薬会社は膨大な研究データを有していますが、これまでは市場調査、中でもブランドの特性や競争環境に関する調査に重点を置いてきました。こうした調査からは、顧客体験や顧客と自社のインタラクションに関する知見はほとんど得られません。顧客の声に耳を傾けることで、現在の顧客体験のジャーニーを確認し、具体的なニーズやゴール、顧客が感じている不満や満足を把握できるようになるのです。

次のフェーズでは、顧客にとって最も意味のある瞬間--つまり「真実の瞬間」を明らかにすることです。重要なのは、すべてのインタラクションを修正または強化することではありません。「真実の瞬間」を識別し、その改善に集中的に取り組むことです。

プロセスの早い段階から、国内グループ会社全社を導入に巻き込みます。

例えば、業務時間後であっても、オンラインの「プロダクトチャンピオン[NA2](製品の専門家)」に気軽にアクセスできる仕組みは、顧客によっては「真実の瞬間」になるかもしれません。一方、医師専用アプリのような、意思決定のプロセスに影響を及ぼさないアプリケーションのユーザー体験の改善に過大なリソースを投入するべきではありません。

真実の瞬間に優先順位を付けることは、顧客エンゲージメントに関する将来の判断にも応用できます。例えば、ある活動が明らかに顧客をいらだたせていることが分かったなら、すぐにやめるべきでしょう。顧客にほとんど関係のないEメールを何度も送ることは、分かりやすい問題の一つです。このように、新たに発見された顧客の好みに関するデータを使えば、どのインタラクションをどのような方法で修正または適応させるべきか、新たに識別されたニーズを満たすためには、どのような新サービスを提供するべきかといった情報を得ることができます。こうした意思決定は、組織の変革を明確な方向性を持って推進することに役立つでしょう。

優れた経験を確実に、かつ一貫性を持って実現していくために(人、プロセス、テクノロジー面で)必要な能力を理解するためには、将来または「あるべき姿」に向けた変革のプロセスを明確に定義することが欠かせません。現在の能力を評価し、ギャップを識別し、これらのギャップを解消するための措置を講じることは、そうした活動の一環です。どのような人、プロセス、テクノロジーが必要になるかは、提供しようとしている体験次第ですが、少なくとも、こうかてきなチャネルとコンテンツ管理、オフラインおよびオンラインでの顧客インタラクションを順序付ける能力、適切なアナリティクスによる影響の測定は、欠かせないでしょう。

グループ会社の能力向上は、ブランドチームや、彼らを支援する他部門のための研修や(顧客体験の設計や実行方法をまとめた)プレイブックといった現場で生かせるツールと知識を提供することで達成できます。こうした知識や知見をグループ会社に遡及させる際には、現地の法律・規制環境や、顧客エンゲージメント活動がもたらす現場特有の影響を理解しなければなりません。

本社と子会社が強固なロードマップを共同で設計し、検証し、合意することで、優れた顧客体験をもっとも実現しやすくなります。顧客体験構築の規模と時期、重点を置く国やブランドといった点は、想定される影響と投資効果を定量化したビジネスケースをもとに、早い段階で明確化されなければなりません。

結論

社会が急速に進化する中で、顧客は特定のブランドや企業との全体的な体験を総合的に判断した上で、購買に関する意思決定を下すようになっています。

製薬会社を取り巻く環境は、複雑で、科学的な裏付けを必要とし、政府によって規制されています。現在のこうした環境下では、購買(または処方)に関する意思決定は個人の嗜好のみに基づいて行われるわけではなく、業界はこうした変化を無視することはできません。顧客はプッシュ型のセールス&マーケティングに抵抗を示し、逆に企業からのプル型インタラクションから得られる全体的な体験を重んじるようになっています。

顧客体験は、製薬業界における次の戦場となるでしょう。優れた顧客体験を実現するためには、組織を長期にわたって変革することが不可欠です。その過程では、未知の領域に踏み込むことを求められることも少なくありません。成功の鍵は早く始めること、そして厳密かつ反復的なプロセスに従って変革を推進することにより、製薬会社、そして顧客がともに学習し、常に次なるベスト・アクションを実行できるように変化し続けることです。


記事元(英文):
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